【執行委員長出井章史・塗装】「広島は怒り、長崎は祈りの日である」と以前両地を訪問された方に聞いた。長崎は静かでそして街の中の随所に鎮魂の思いで満ち溢れていた。
鎮魂−キリスト教で死者の魂が最後の審判の日に天国に救い入れられるように祈るミサの音楽とある。
私が当地を訪れた8月7〜9日の3日間。かつて切支丹とも呼ばれた時代から慈愛の信仰は深く広く市中にも浸透しており、その優しさが目にも見える。メイン通りを各所に通る市電には障害を持つ方、子どもらにも割引いた料金設定が表示してある、しかも明確。席を譲る若年者達の気持ち。痛みをわかち合える心の強さ。経験した者にしか体感できない。初日、小雨降る南国気候独特の高湿度、一行は到着後ホテルに荷を置き合同昼食の後、午後から始まる会場へ向かう。被爆80年の年になる、原水爆禁止2025年世界大会。
今年還暦となる私の生まれるわずか20年前の悲劇だった。各団体、世界各国参加代表の発言の後、被爆者当人の証言とVTRには言葉を失う。
満員の会場では若年層の参加者の熱心な姿が多くみられる。各々の訴えを示し、経験をしてなくてもこの悲劇・惨劇を伝承していく強い意志が沢山の折り鶴やペナントの束に込められ掲げられた。この思いはきっとつながっていくだろうとそう願う。
2日目はそれぞれ希望した分科会(学習会)に参加。私は「日本が国際法と国連憲章を守り、紛争などを核を持たず、使わない国を基本とする国家を目指す」主旨での講義で勉強した。各県団体代表の活発な発言があり港原水協からも岩淵氏が麻布にある米軍軍用ヘリポートの危険性を訴える発言をした。沖縄でもなくグアムでもない私たちの移住する港区にもそれはある。
帰路、参加者の中には近くの大浦天主堂に立ち寄られる方も多数おられた。静かな祈りがここにもある。
3日目、降水帯をまじかに朝から大雨であった。メイン会場での全体集会。互いに成功を認め合い、再会を誓っての閉会となる。ホテルまでの帰路、平和公園、爆心地跡を見学。慰霊の巨大像の周辺には世界各国のモニュメントが寄贈されてあり、日本人と各国から異国の地で被爆された外国人たちへの慰みの言葉が刻まれていた。小雨になった頃、一同ともに静かな祈りを捧げ、東京へと帰路についた。
【みなと分会・建築設計・藤原盛幸】今年で広島・長崎に原子爆弾が投下されてから80年。実際に被爆された方々もご高齢を迎えており、その体験談を聞ける機会も限られてきています。今回の『原水爆禁止2025年世界大会』では昨年ノーベル平和賞を受賞された日本被団協の代表委員 田中照己さんをはじめ被爆者の方々の貴重なお話を伺うことができました。原子爆弾の殺傷能力に加え、後世にも残りうる放射能による後遺症、政府の支援なく戦後の貧困を生き抜かなければならなかったこと、差別を受けていたこと等、被爆者の皆さんの苦労は想像を絶します。田中さんも戦時中当時は兵隊志望だったのですが、原子爆弾が投下された惨状を見て「こんなことがあってはならない。」と思われた様子でした。経験者の方々が「核兵器があってはならない」「戦争があってはならない」と皆さん仰ります。戦争経験者ではない我々後世の世代も、被爆者・戦争経験者の皆さんの思いを感じ、身に染みて受け継いでいかなければならないと感じました。
皆さま核兵器禁止に向けて様々な取り組み、活動をされておりますが、いくつか私が気になったものをご紹介いたします。
■DON’T BANK OF THE BOMB(DBOB)
同じくノーベル平和賞を受賞している「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)によるプロジェクトの一つで、世界の金融機関に核兵器製造企業への投融資を引き揚げさせるよう働きかける取り組みです。過去実際に非人道兵器製造企業への投融資を止めさせるというNGOの運動が、米国のロッキード・マーティン社のクラスター爆弾の製造を止める引き金になったようです。
【ウェブサイト】http://www.hhk.jp/dbob/
【 YouTube 】
「核戦争に反対する医師の会」 「近畿反核医師懇談会」
■HIBAKUSHAメッセージ
被爆者の方々のメッセージをYOUTUBEで視聴できます。原子爆弾や戦争の悲惨さも、時が経つにつれどうしても後の世代ではだんだんと風化してしまいます。貴重な体験談を永く、広く、世界中の方に伝えられるよう、こういった発信方法を増やしていくことも大切だと感じました。
現在もウクライナやガザ等で戦争下の悲惨な状況に置かれている方々もいらっしゃいます。遠く離れた地で日常に追われる身ではありますが、世界の平和に向けて少しでもできることがあれば取り組んでいきたいと思います。